山下達郎だと書くことが多くてしんどいな。
山下達郎
For You
1982年の6枚目タツローマニア 95 (2015年秋)86(2013年夏)
オリコンで初登場1位
RCAビクター時代の最後のアルバム、RIDE ON TIMEの時に言ったけど固定したーメンバーで、時間に拘束されずにレコーディングしたいと思っていたのが実現できた。
18曲録って8極しか選んでいたない。主にカッティングレベルの問題
16ビートの曲が多いから一曲が結構長いので、これ以上曲を入れると音質のクオリティーが落ちるから8曲が限界だった。このアルバムは凄く音質が良い。
大滝詠一さんのロングバケーションはソニーのオーディオチェックレコード。For YouはRCAビクターの音質チェック。
デジタル前夜の82年で、24トラックのレコーディングシステムがピークを迎えた。未だにデジタルレコーディングシステムはこのレベルに達していない。座付き役者としての極致。
このメンツ、このエンジニア、この当時の自分のツアーアーティストとしてのスタンス、ライヴで演奏可能なレパートリーなどの色々なテーマや命題を考慮して作った中では頂点。
この頃はアルバムを売るために意図的にシングルカットをしなかった。
Lovelandm, Islandはシングルを切るべくサントリービールのCMのタイアップをとるわけだけど、僕自身はシングルを切りたくなかった。理由は良くわからないけど、楽曲が良くなかった。
ヒット曲が合ったら合ったでなかったらなかったで。
アルバムアーティストでありたい。ビーチボーイズのペットサウンズをずっと引きずっているんだよね。
この世で一番好きな曲はゾンビーズのテル・ハー・ノー
粉曲ばかりだったら、そんビーズが一番好きなグループだったかも。ラスカルズの「Once upon a dream」やリチャードはリスのTramp Shiningの様な小説を読むような感じで聴けるアルバムの方が好きなんだ。
いまはSMAPのアルバムにオマー・ハキムが参加しちゃう時代だから。
For Youはライブを死ぬほどやっていた時代に作ったアルバムで、ライブの反響がセールスに結びついた。この頃は山下達郎は一種のトレンドだった。僕はいやだったんだけど、
RIDE ON TIMEが17万枚。FOR YOUは50万枚前後。中島みゆきの寒水魚が1位だった。
音楽が消費物に成り下がっていなかった。聞き手の1人1人が音楽に対峙していた。
こういう音楽は歌謡曲人にできなかったけど、この15年でそのノウハウはすべて芸能プロダクションに吸い取られちゃった。
こういう現象は良い方に解釈している。レコード産業が成長したから300万枚売れるアルバムがあればおこぼれで30万枚くらい売れるんじゃないか。
えらく繁盛しているそば屋があればその隣でラーメン屋やっればこぼれで何とかなるんじゃないか?味さえ良ければ
3ー4年ライブを続けないと売れない。
ポップで16ビートをやっているのは僕だけで差別化になった。相応音楽をやるべき人達がYMOの流れに行っちゃったから、それらの人がライブをやらなかったり、やれてなかったり自分のバンドを持っていたので死ぬほどライブをやった。
アルバムに入る前に、Music Book, Morning Glory, Futariはやっていた
・なんテイクもとっていてSparkleも色々なテイクがあって、このアルバムは色々いじって良い方向に行った。僕のストリングス・アレンジやブラス・アレンジの作風にもっともあった曲がずらっと並んでいる。Morning Gloryの間奏のリフなんてもうかけない
・今はみんなが16ビートをやっているからやりたくない。
・Dreaming Girlなんかは僕以外なら大滝さんしかやらない。
・このアルバムは半年以上かかった。この時期は曲が書けた、人間リズムマシンがずらっと並んでいたからかな、Pocket Musicの時も不思議と曲ができた。このときはコンピュータを使ったけど、コンピュータで曲を作るのが楽しくてしょうがなかった。
・新しいモノをもらうと集中力が高まる。
・作ったときの達成感はない、自分はエクスタシーを感じないタイプ。
・ジェケットを永井博さんに頼もうと思ったら大瀧詠一さんに先越された、ペーター佐藤さんに頼もうとしたら日本良いなかった。
・永井さんは年鑑・日本のイラストレーションに載っていて綺麗な絵を描くなと思ったら鈴木秀人さんだった。イラストが好み・
・このアルバムが出た段階で会社を辞める予定で、4月6日にまりやと結婚式をした。
・「あまく危険な香り」が主題歌になったドラマが始まって、その直後にGREATEST HITSがでて、近藤真彦のハイティーン・ブギをつくって、結婚式の翌日に松本隆さんと打ち合わせして。フランク永井さんの「ウーマン」を作って、ツアーをこなして、働いていたな。「年間日本イラスト」をみて、イラストを永井博さんに頼もうと思っていた。大瀧さんがたのんでいた。
- SPARKLE
・Nite FlyteのIf you wantと言う曲があって、コードもメロディもとってつけたようで。ギターのカッティングをシャープにして、自分だったらこういうコードにして、、、と作った。パクりだ!とか揶揄するやつがいて、そういう曲の作り方をパクりだと言うんだったら、それはそれで構わないけど、それだたらあのオリジナルを聞いて、この「Sparkle」を作れるか。という自負は強烈にあるね。
・さびのコード進行が渋い
・演奏のグルーブが凄まじいのはライブをやりながら作った。
・ブラス隊もこの当時が最高。バリトンサックスの砂原さんはなくなっちゃった。
・このアルバムからブラウンのテレキャスターを使うようになった。
・パターンの音楽なのでメロディはあと、吉田美奈子作詞の真骨頂と言うか、口あたりの良い曲がばーっと流れてという作詞術のピークじゃないか
・難波や青山と広規はKISSのつもりで演奏していた。
- MUSIC BOOK
・MUSIC BOOKと言う歌詞があって、美奈子が自分の「愛は思うまま」にかいた歌詞で、それを元にメロディを作ると行ったら美奈子が歌詞を書き直すといいだして・・キャッチボールでできた作品
・リズムセクションが松木恒秀、。渡嘉敷祐一、岡沢章さんの三人で、仮のピアノを入れたのをロサンゼルスに持っていって佐藤博にエレピをダビングしてもらった。ちょうど夏でRCサクセションズがロサンゼルスでレコーディングしていて忌野清志郎君とプールで遊んだ。
・この頃の佐藤君はとにかく冴えていた、この頃はエンディングのコーダのコーラスが売りで、今の人には絶対出せませんよ。自分では好きなんだ。弦のアレンジも結構良いし。
- Morning Glory
もともとまりやのMiss M の為にかいた。まりやのバージョンはロサンゼルスでエア・プレイを起用してレコーディングしたんだけど、演奏があまり良くない、誠意が感じられない。
で自分で作り直そうと思った。この曲はコード進行がよく練られているRAINY DAYに近いんだけど、非常に良くできる。
この曲はシャッフルなんだけど、80年台過ぎるまでこういう曲は誰も作らなかった。
・スネアのポイントが半分で16ビートのシャッフルなんだよね、オケのクオリティが高い。
- FUTARI
・実は何テイクもある
・コード進行に凝っていたから、よくできている。
・このアルバムにはSilent Screamerのような捨て曲がない
・ステージで散々練習して演奏したから、演奏のテンションが高い。
- Loveland, Island
・サントリービールのコマーシャルソング
・サンバのダンスの映像を見ながらbpmを測ってつくった。Let’s Dance Babyの亜流
・ポリリズム
・歌詞能力がついていかなかった。
- Love Talkin’
・Isley Brothersから始まって、Atlantic Star、Midnight Star、Slave、Aura、この当時聴きまくっていたファンクのパターン。何十曲もあるけど、完成されたモノがない。日本語の歌詞にあんまり意味を持たせちゃうとくさくなる。
・ピアノを弾いて、ギターを被した。トリッキーなパターンで符点が合ってなかったりするんだけど、わざとこうしている、この頃は寝ても覚めてパターンを考えていた。今はそんな意欲はない。今だと機械でできちゃうじゃない。
- Hey Reporter!
・芸能レポーターに追いかけられた経験を題材に
・エンディングのピアノのパターンは JBのSex Machine、ギターソロはPaint It blackをなぞっている
・これは一世一代のギターソロ。
・オハイオプレイヤーズにジョニー・ギター・ワトソンがディストーションを聴かせてギターを弾いたらどうなるか?と言う曲
- Your Eyes
・15分くらいで作れた。
・まりやの為にかいたけど、つまらないと言われて時分でやった。
・はっきり言って傑作
・バックの連中はプログレのつもりで演奏している
・日本語歌詞が載らないからアラン・オデイに英語詩を頼んだ
・アラン・オデイはシンガーソングライター。Undercover Angelでヒット。全米1位
ロックンロール・ベイビー、アンジーベイビーなんかもかいているから縁だと思った。年に10曲くらいしか書かないけど、打率が高い。
・ダイアン・ウォーレンという売れない女性作家がいるからと紹介された。アンルイスのアルバムで二曲採用した。
アルバムの総括
音は良いんだけど、歌詞がこれでいいのかな?という疑問があって。
夏だ、海だ、達郎だ野イメージに辟易していた
ブラックシンガーになりたい訳でもなく、
複雑の16ビートの曲を作りたかった訳でもなかった。
60年安保を経験し、交通事故に遭ったみたいにたまたまミュージシャンになった人間だから、音楽で何をすべきかを考えがあら生きてきた。
For youは流行りに迎合していた。
自分でこういう音楽をやり続けているかを正しいかという疑問があった、それらがすべて melodiesに反映されていく。
希望という名の光
2010年のシングル
残留
愛しているって言えなくたって
2011年のシングル
残留
Seasons's Greeting
1993年のアルバム
タツローマニア110 (2019年夏)87(2013年秋)
クリスマス・イブのヒットが生んだ、Season’s Greetings
BLOWはアメリカズ・カップのタイアップ。
アトムの子がキリンビールのタイアップ92年頃から思ったレコーディングが思うようにできなくなってきた。ゲット・バック・イン・ラブまで7年くらいベストテンヒットがなかったた。さよなら夏の日だって入っていない。ヘロンを98年に出すまでそんな感じ
ツアーの予定がなくなったから、レコーディングをやるという。
ヘロンはフィルスペクターの「ウォール・オブ・サウンド」をもくろんだけど最初が全然良くなくてボツにした。
楽器は大瀧詠一さんみたいに多い訳じゃなくて、ピアノは一台、生ギターも2本
ナイアガラのパーカッション隊もはいっている。(浜口茂外哉、鳴嶋英治、川瀬正人、菅原裕紀)
スタジオもミュージシャンも通用しなくなった。
ベイヤー(Beyerdynamic)のマイクはスタジオ用の1本とライブ用の2本が壊れたえらもうない。日本画家の千住博さんと対談したが、筆を作る職人がいない、膠を作る職人はいない。旋盤の世界も20ミクロンまでは機械でできるけど、その先は職人の技。(
ジャングル・スウィングは日産のCMタイアップ。ボ・ディドリーやりたかった。
どこにもない個性的な特徴のあるオケを作るのはスタジオミュージシャンでは無理。
ライブには限界があるが、レコーディングはエスカレートしていくから。レコーディングの方が難しい。89年にクリスマス・イブがチャート1位になった。クリスマス・アルバムを出すのは憧れ。海外でストリングスを録ったけど気にいらなかった。ロックンロールじゃなかった。
ロンドンが好き、サヴィルロウを散歩するのが好き。1950年代にパリに留学していた。
服部家の家訓は「来た仕事を断るな」服部さんを缶詰にして、Season’s Greetingを作った。だんだん目の色が変わってきた。
理想のクリスマスアルバムは
ベンチャーズ、ビーチ・ホーイズ、フィルスペクター、ジャッキー・グリースンしか聴かない
あれ、あんまりこのアルバムと関係ないか?
SEASON'S GREETINGS (20th ANNIVERSARY EDITION)
- アーティスト:山下達郎
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2013/08/28
- メディア: CD
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