It's a CD 断捨離 life

思うところがあって、CDを処分することにしました。4半世紀にわたる音楽遍歴の歴史を振り返りながら、今でも鑑賞に耐えうる良い音楽を紹介していきます。主な守備範囲は、ロック、ソウル。

山下達郎サンデーソングブック ジャパニーズ・ロック3 1998年11月22日オンエア

ファンクラブの会報誌タツローマニア28を読んでいたら興味深い特集がありました。

 

 

前回までロカビリーブーム→GSがでてきて、フォークという事だった(関連記事は書き)

竹内まりや ”カムフラージュ”

こちらは宣伝だったのだろう。


カムフラージュ ( 竹内まりや )

 

高田渡 "朝日楼"

アニマルズ風のイントロか始まってジョニーキャッシュ風のベースラインから始まる一曲。1969年作品


高田渡・岩井宏 朝日楼

1969『汽車が田舎を通るそのとき』*1

加川良 "教訓"

1971年


加川良 「教訓 I」 Kagawa Ryo "Kyokun I" (Lesson One)

 

友部正人 "一本道"

1973年


友部正人 一本道 EP盤1972年

岡林信康 "私たちの望むものは"

1970年。スタジオ版のバックははっぴぃえんど。

そうなるとロックの草分けという立ち位置だったか。この映像は映画か?

タツローマニア30に、蒼氓の中にカーティスメイフィールドの"People Get Ready"や岡林信康の"私たちの望むものは"を挿入した。と書いてあり

「岡林信康があの頃作った歌のいくつかは、日本では数少ない、ある種ゴスペル的な高みを持った歌だったと思う。ああした歌には真実があった。岡林信康酸の父親は牧師さんらしい。

(蒼氓には、Rascalsの"Ray of Hope"とかBlowin' In the Wind(bob Dylan),岡林信康の「友よ」、U2 などが挿入された事があります、タツローマニア105にも岡林信康の本当に好き、とあります。)

タツローマニア58日は愛用のギルドD50はもともと岡林信康酸が使っていて、椎名和夫さんを経由して自分の手元にきた。とあります。

またタツローマニア96では岡林信康の歌詞の形が好きとあります。

 


HAPPY END はっぴいえんど 岡林信康 私たちの望むものは

 

西岡恭蔵 "サーカスにはピエロが"

1972年


西岡恭蔵 「サーカスにはピエロが」

 

西岡恭蔵 "プカプカ"

名曲。1972年。タツローマニア48に「象狂象と名乗っていたとき、「プカプカ」を歌っていた。

エンターテイメントじゃないんだよね、一切。ひたすら淡々と歌い続ける人なんだ。ビジュアル的にも、どっかの学生みたいなもつさりした感じでさ、ガタイが大きくて、小太りでね。だけど、その歌の世界が実にいいの。歌はうまいし、作曲能力もすごく優れていた

 


西岡恭蔵 『プカプカ』 1971年

 

あがた森魚 "赤色エレジー"

1972年


あがた森魚 赤色エレジー

 

及川恒平 ”面影橋から"


及川恒平 - 面影橋から

 

六文銭 "雨が空から降れば"

1971年。小室等


小室等「雨が空から降れば」(1974年ライブ)

 

はっぴいえんど ”春よ来い”

1970年作品。BURUTUS SONGBOOKにもあるが、「日本語でロックを歌うということに関しては圧倒的にはっぴぃえんどの影響が大きい」

細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂。すごいメンツ。

時系列の整理

1969年9月、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆で「ヴァレンタイン・ブルー」を結成。その後、鈴木茂(ギター)が参加し、10月28日に初ステージをおこなう。

1970年、「ヴァレンタイン・ブルー」のアルバム制作が決定。その直後に岡林信康のバック・バンドの依頼を受ける(これが上記)。

1970年3月、「はっぴいえんど」に改名。遠藤賢司『niyago』に参加(大瀧詠一は不参加)。

岡林信康『見るまえに跳べ』のレコーディング参加、ファースト・アルバム『はっぴいえんど』を出すという流れ


Happy End - はっぴいえんど - 01 春よ来い

 

 松本隆さんはタツローマニア26で「松本隆、詩と山下達郎を語る」という特集がありますね。ここの「達郎、松本隆の詩を語る」も面白い。

 この中で「岡林信康、高石友也、友部正人などの歌詞を、松本さんはすごく食欲に、しかも素直に受け止めたんだよ。それで、自分に何ができるかを出していったのが、結局、彼の作詩家としての歴史なわけで、それはすごくわかったしね、話してて。」とある。

もう少し進むと

歌謡曲とかグループサウンズの荒 唐無稽な歌とは全然違う、思想のある歌なの。
それは一連のプロテスト・ソングともまた違った、 もっと内省的で、四畳半というにはちょっと渇い た、後のフォークとも違う流れのもっとも東京的 な、我々のテイストにいちばん近いものがはつぴいえんどだったんだよ。

タツローさんはタツローマニア53で

早川義夫の「格好良いことはなんて格好悪いんだろう」も聞いていた。サルビアの花がよい。加川良、三上寛、遠藤賢司、友部正人あたりは一通り聞いた。ジャックスは好きだった。

武蔵野たんぽぽ団、高田渡なんかもきいた。
彼らはボブディラン、ミシシッピジョンハートなんかだけど、我々はビーチボーイズとかラスカルズ、ラヴィン・スプーンフル。

中川五郎の「僕のベッドにおいでよ」
西岡たかしの「遠い世界に」とかフォーク・クルセイダーズのようなオリジナルの素晴らしい曲が生まれている。
はしだのりひことシューベルツの「風」なんかも名曲

と書いてありました。

 

もう少し続きます。

 

 

 

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